振り返ると、私は昔から地元が好きだった。
祖父母や親戚が近くに暮らし、誕生日会やクリスマス、家族旅行をみんなで楽しむ。そんな環境で育った。
小学生の頃、農家を営んでいた祖父から言われた言葉を今でも覚えている。
「おじいちゃんは地域のために頑張ってきたから、ひろ君も頑張るんだよ」
その言葉が、自分の中にずっと残っている。

高校ではサッカーに打ち込み、大学では電気・情報工学を学んだ。
特に衝撃を受けたのが、HTMLの授業だった。
メモ帳で文字を書くだけで、世界中に情報を届けられる。
その可能性にワクワクした。
大学時代の就職活動ではテレビ局なども受けていたが、「情報を届ける仕事がしたい」という思いと、インターネットの可能性への期待から、2007年にYahoo! JAPANへ入社した。
配属されたのは、自分が最も利用していたYahoo!ニュースの部署だった。

日本最大級のニュースサイトである「Yahoo!ニュース・トピックス」の開発・運用を担当し、エンジニアとして充実した日々を送っていた。
転機となったのは2011年3月11日。
東日本大震災だった。
故郷の石巻も大きな被害を受けた。

その時、私はふと考えた。
自分たちが作ってきたニュースサービスは、本当に故郷の人たちに情報を届けられていたのだろうか。
津波が迫る中で、命を守る情報を届けられていたのだろうか。
エンジニアとして誇りを持っていた仕事に対して、自信を失った瞬間だった。
震災後、東京で復興支援活動に取り組む中で、石巻への思いはさらに強くなった。

大森商店街でお世話になった石巻の復興支援活動
そんなある日、当時ヤフーの副社長だった川邊健太郎さんから声をかけられた。
「石巻に支社を作ろうと思っているんだけど、お前、エンジニアで行く?」
私は即答した。
「はい。」

東京から石巻支社へ転勤する際の送別会での様子
2012年、ヤフー石巻オフィスでの勤務が始まった。

石巻オフィス(2015年)
東京に残る選択肢もあった。
しかし、復興の最前線にある石巻の方が、もっと面白い人たちに出会える気がした。
そして何より、生まれ育った地域の役に立ちたいという思いがあった。

石巻オフィスのプロジェクトメンバーと宮坂社長(当時)
石巻での仕事は、それまでのエンジニア人生とは大きく違った。
「復興デパートメント」というプロジェクトを通じて、被災地の商品や地域の魅力を全国へ発信した。

マグロを取材したときの様子(2014年)
ところが、そこで私は大きな壁にぶつかる。
東京では「売上を伸ばすこと」が正しい。
しかし、地域には違う価値観があった。
ある生産者から言われた言葉が忘れられない。
「忙しくなるくらいなら売らなくてもいい。」
当時の私には理解できなかった。
売れれば復興につながると思っていたからだ。
しかし、その人にとって大切なのは売上だけではなかった。
家族との時間。
自分らしい暮らし。
身の丈に合った働き方。
そこには東京のビジネスとは違う価値観があった。
私は次第に考えるようになった。
地域にとって本当に大切なものは何だろう。
地域のためとは何だろう。
その答えを探したくなった。

相談したのが、後に10年以上お世話になる石巻日日新聞社の近江弘一社長だった。
近江社長はこう言った。
「いつでも会社に来ていいよ。何をやってみてもいい。」
その言葉に背中を押された。
Yahoo!で学んだテクノロジー。
震災で感じた無力感。
石巻で出会った人たちの価値観。
それらすべてが重なり、私はYahoo!を離れて、石巻日日新聞社へ進むことを決めた。

ヤフーでの仕事も充実感があって楽しかったが退職を決意(当時オフィスがあった東京ミッドタウン・2015年)
振り返ると、Yahoo!から石巻へ戻った理由はひとつではない。
地元が好きだったこと。
地域の役に立ちたいと思ったこと。

石巻日新聞社へ入社した
そして何より、
「人や地域の可能性をもっと近くで見てみたい」
と思ったことだったのだと思う。