サッカーのことは、ほとんど分からなかった
私がコバルトーレ女川の運営に本格的に関わり始めたのは2018年。
チームがJFLへ昇格した年だった。
当時、私は石巻日日新聞に所属しながら、広報や事務局業務を担当することになった。正直に言えば、サッカーの知識はほとんどなかった。
それでも、ホームページを整備し、SNSで情報を発信し、試合を盛り上げる方法を仲間と手探りで考え続けた。
地域がチームを育ててくれた
JFLという全国リーグへの挑戦は、地域にとっても大きな出来事だった。
ホームゲームには多くの人が集まった。
ボランティアが県外サポーターをもてなし、子どもたちは選手を取材し、地域のお祭りには選手が参加した。
試合の日の石巻フットボール場には、単にサッカーを観戦するだけではない空間が生まれていた。
そこには、
地域の人が集まり、
子どもが憧れを持ち、
県外の人が地域を知り、
新しい出会いが生まれる。
そんな光景があった。
私自身も、
「スポーツクラブとは試合をするためだけの組織ではない」
ということを、この頃から少しずつ感じ始めていた。
降格して見えたもの
奈良クラブとの最終戦。先制しながらも逆転負けを喫し、コバルトーレ女川はJFLから1年で東北リーグへ降格した。シーズン終盤には、JFL昇格の原動力だった野口龍也、黒田涼太ら主力選手も相次いで負傷離脱していた。
※最終戦はコバルトーレ女川1−3奈良クラブで敗戦
正直、悔しかった。奈良の地でこの写真を撮りながら涙をした。
全国リーグで戦うという夢は、わずか1年で終わった。
そんな時だった。古巣であるヤフーの取材チームがチームを取材してくれた。
取材テーマは意外なものだった。
「昇格するチームがあるなら、降格するチームもある」
華やかな昇格ではなく、降格したクラブのその後を追う取材だった。
サッカー選手をやめた後も「まち」に残る――JFLから1年で降格 コバルトーレ女川のいま(ヤフーニュース)
https://news.yahoo.co.jp/feature/1251
“復興に比べたら、Jリーグは遠くない”女川のクラブが挑み続ける理由(LINEニュース)
https://news.line.me/detail/linenews/eeab3b4a61a8
それでも残ってくれた人たち
チームは降格したが、それでも、チームに残ってくれた選手たちがいた。
新たに加入してくれた選手たちもいた。
そして、サポーターも変わらずスタジアムへ足を運んでくれた。
2019年3月、新シーズンを迎える頃には、多くのチームファミリーが苦しい状況の中でも力強く応援し続けてくれていた。
あの時のサポーターの姿は、今でも忘れられない。
私にとって、「自慢できるサポーター」だった。
勝敗だけではない価値を探して
2019シーズン。
1年でのJFL復帰を目標に掲げながらも、結果は東北リーグ3位。JFL復帰は叶わなかった。
それでも、前年以上にスタジアムを楽しんでもらいたいと思った。
カテゴリーが下がったからこそ、情報発信やホームゲームの企画をさらに工夫しようと考えた。スターティングメンバー紹介など、新しい演出にも取り組み始めた。
「勝てば人が来る」
もちろん、それは間違いではない。
でも、それだけではない。
勝っても負けても、また来たいと思ってもらえるクラブを作りたい。
少しずつ、そんな思いを持ち始めた。
スタンドに誰もいなかった日
2020年。
ようやくチームが形になり始めた頃、新型コロナウイルスが世界を襲った。リーグ戦は大幅に縮小され、チームも約1か月半にわたって活動を停止した。
当たり前の日常が、当たり前ではないことを知った。
そして7月。
無観客での試合が行われた。
スタンドには、誰もいなかった。
それでも、クラブの活動を止めるわけにはいかなかった。
私たちはYouTubeでの試合配信を始めた。
スタジアムに来られない人たちへ。
家で過ごしている人たちへ。
サッカーを届けるためだった。
クラブは誰のものなのか
降格。
コロナ。
苦しい時間が続いた。
それでも歩みを止めなかったのは、クラブを支えてくれる人たちがいたからだ。
選手。
サポーター。
地域の人たち。
企業。
ボランティア。
彼らの存在があったから、私は次第にこう考えるようになった。
スポーツクラブは、サッカーをするだけの組織ではない。
地域の人たちが集い、つながり、新しい価値を生み出す「地域のプラットフォーム」になれる。